カーフの膨らみのレシピを簡潔に。型紙上のラインは脇線側のみで脹脛部分を膨らませる(脚の形や筋肉の発達具合によっては、股下線側も補足で若干膨らませる)。適切な高温・蒸気でもって、充分な時間をかけ、以下の操作をする。脇線側から、線が直線になるように追い込み、それを戻らない様に固定するために、対岸の股下線側では引っ張って伸ばす。カッティングでもアイロンワークでも、布に聞く。布が教えてくれる。決め手に、合わせるソースは「形作るべき脚の形のイメージ」。
2013年3月24日
2013年1月10日
2012年11月15日
もう長いこと、前を通る度に気になっていたクリーニング店にシャツを二枚お願いした。期待通りの素晴らしい腕前だった。立ち姿とお話しの仕方が凛とされている。大量に預かられた服はきれいに整頓され、同じく沢山のクリーニング済みの服は、密着せず一着一着計ったような、たっぷりの余白をあけて掛けられおり、コートやジャケットなどの重衣料はショップのディスプレイのごとく壁に平行に掛けられていたりする。最初持ち込みの際、入って行くとまず「うちは手でかけるので、少し割高ですよ。」と説明して下さる。それから瞬時に、持ち込んだシャツが元から糊無しの製品という事を分かっていて「糊は無しで?」と聞いて下さったので、あえて糊は付けてもらう事にする。伝票も何もなし。初対面で名字しか聞かれない。中2日で受け取りに行くと、こちらがドアを開けかけたら、もう棚の私のシャツに手をかけていらっしゃる。とうてい私には実現出来ないホスピタリティである。仕事場と家との中間地点、クリーニングをお願いするたびには勿論のこと、ガラス越しにあの風景を見るたびに、服を宝物のように扱うプロの愛と真心とについて、迷子にならない為の地図がそこにある。カウンターには額におさめられた愛猫と思われる写真があった。
2012年9月9日
潤沢な手間と時間を注ぎ込むわりには、相対的に見て、あまり高い値段をつけられない(お客様がそれに充分な金額を払う考えやスタイルが少ない)という事に、いつもぶつかるハンドメイドのパンツが、レストランにおけるコンソメと同じ運命を辿るのは勿体無いといつも会話にのぼるのと同様に、今年何度も繰り返された「残暑が長い」という挨拶で始まった九月一回目の私塾日。裁断まで済んでいるジャケットの芯パターンづくりと裁断をし、同時に、ほぼ同じ形ではあるが、脇に珍しいカッティングを取り入れるジャケットのカッティングをする。ポケットの切り込みを利用して、別布をはめ込むのだが、タチキリ線で表そうとするので、最初はなかなか寸法計算に手こずるが、縫い目が一本増える計算になるので、非常に綺麗なラインを期待出来る。実技以外の質問事項として、ブレイシスで吊るパンツ作成の場合のウエストまわりについての考え方(食事を経てのお腹の変化や、礼服等の上物の丈の短さに対応するなど)、作成中のパンツの渡りについての考えと相談、手かがりボタンホールの芯糸について教えていただく。その他、先生のところの、いろいろなサイズやデザインのジャケットを試着させていただいたが、ネックポイントで着ているという感覚が絶大で、同時に衿の吸い付きの反りが肌感覚で感じられ、中でも、布だけで持ってみれば物量として相当重い、草原で寝転んでも大丈夫『ソーン・プルーフ』製のものは、きっちりテーラリングできれば、この上なく軽くこれほどまでに快い着心地を実現出来るというお手本であった。昔の日本の服には、「首の後ろに重点がかかるように作れ」とよく言われたようだが、それでは肩が凝る(日本語によって生じる状態)のは必至である。試着させていただいた麻のジャケットやツイードのジャケットを通して、その土地土地に相応しい生地というものがあるのではないかという話となる。
2012年8月27日
そう馬鹿みたいに口をポカンと開けている訳では決してないが、体調不良などもあり、あっという間に二週間が経つ。秋とは名ばかりの猛暑の中、私塾へ。どうしても納得出来ない部分の対処を相談する事と、その他いくつかの質問を持参し勉強する。ベストの衿みつの、ちょっとしたツキ皺が気になっていたが、やはり最後はハンドメイドの一番素晴らしいポイントであるアイロンワーク(もっと言えば、ハンドメイドとはアイロンワークの事であると言える。)にて解決する方向へ。経糸・緯糸で織られている生地の全体フラットな力を、熱と蒸気と時間と温度差によって、引っ張ったり縮めたりする事で、型紙で描いたデザイン曲線やダーツだけでは作りきれない立体感を出し、身体と運動にフィットさせるという目的に達する。今回は、バイアスで裁った「みつ布」を思い切って伸ばし、つまり肩の横方向に引っ張る事で、数ミリの寸法微調整では解決しきれなかった「ツキ」を解消し、背中に吸い付く事を狙ったものである。併せて、今回の背に使った裏地は、どうやら硬くて張りがあり過ぎるきらいがあって、素材選びでも反省すべき点があった。
完成に近いスラックスではあるが、後ろの表情と、右腰の張りに対する落ち感が万全ではない。着心地も向上出来る余地があると考える。後ろ股ぐりを1センチくったものから、さらに横にも少し寸法を出し、引き皺気味なのを解消する。前は腰をさらに出す事とする。これで良いと思った型紙でも、素材によって結構違ってくる事が分かって来た。その他、次回作ろうと思う上着の、パーツのはめ込みパターンの考え方、カラークロス使用ではない場合はどうなるか等の疑問をうかがう。
2012年8月12日
8月最初の私塾。ウェストコートの「みつ布」周辺(衿みつ)と肩部の処理・同時進行で完成間近のスラックスのフィッティングと細部についての質問を行う。ジャケットの時もそうであったが、後ろ右側にのみ、やや「ツキ皺」が出る。持ち帰り直してみるが、まだ出るので、印は気にせず臨機応変にもう少し思い切って詰めてみる。素材が裏地である事(しかも今回のものは、妙に張りがある)と、アイテムとしてタイトな分、体型がもろに出る部分で特有の難しさがある。みつ布をもう少し長めに裁って、アイロンで縮めたらもっと良かったかもしれないと考える。スラックスは前中心を持ち上げるよう改良した分、落ちは綺麗になったが、右腰の張りに対してもう少し出したら、さらに綺麗にいくと思われる。あとは、良い型紙に対してのテーラリングの精度だと考える。主にウエストまわり(腰芯の処理や腰裏・腰幕等の仕様)の質問をしたが、腰裏は、ぴったりきれいに据えると、ベルトを締める場合、度重なる締め付けによる「反り」に対応する余裕が無くて、糸がほどけてきてしまうケースが多く見られるとの事。対策として、裏側に丸く反らせて据えていく。
ロンドン五輪男子サッカーで、ブラジル代表の国歌斉唱時のユニフォームにことごとく見られ、気になっていた「たすき皺」と「斜め皺」に関しては、自分の解釈が合っていたので、フィッティングも身になってきた実感があるが、ちょうどこの日は、他の方の仮縫いを実践させていただけ、この上なく勉強になった。見方は大体頭に入ってはいるものの、十人十色の個別のケースに、最小限の手数で最大の効果をもたらし、問題を解決していく視点は、まだまだ獲得できているとは言いがたい。
まず、後ろ裾がくっつき過ぎていて、やや前がはねている(きれいに落ちていない)ので、最初、前に対して背が長いと思ったのだが、それにしては衿が高過ぎることはなく、むしろ低いか抜け気味ともとれなくもないため(実際には問題無しと言える)、結果としてはヒップ寸法が小さいだけであり、ここでは複雑に考え過ぎたという事になる。そして、何はさておき一番修正しなくてはいけなかった点は、大多数の人が当てはまる「右肩下がり」である。下がっている分量は、前の打ち合わせでウエストラインがズレている分と、後ろ裾が右下がりになっているのを水平になるまで背でつまんだ分で測る。その寸法を前後右肩で削り、ネックポイントではその半分か三分の二程度の量を削る。と、同時に勿論サイ・デプスも同量だけ深くする。前をきれいに落とす事と、横方向の分量不足解消は、前の打ち合わせを出す事で単純に解消できた。その他、細かい点はいくつかあるが、今回で言えば、ヒップや打ち合わせがやや不足気味なのも含め、例えばデザインとして着用者の意向である場合もあり、お客様との話し合い等に応じて最良の方向を取りたいと考える。そして、脊椎の湾曲による「肩下り」に対して、希に「肩上がり」というのがあるらしく、見極めは大変難しい。メジャーな体型である肩下がりは、片方の脇が短いという事だが、肩上がりは脇の長さは一緒で、肩の筋肉等が異常に発達している場合などに見られる。肩上がりは手の長さは同じだと考えそうだが、やはり袖にも左右差補正が出るという事である。
2012年7月22日
今月は二週連続で私塾。ベストの後ろ身と尾錠まわりを作る。今回は、脇だけではなく、後ろ中心にもスリットを入れているが、アームホールと、脇スリット〜裾はミシンで縫い返し、真ん中のスリットだけ手まつりにする事とした。尾錠のベルトは、使用生地によっては、スレキなどを芯とする。今は昔と違い、表裏を同素材か同じ色を使用する事が多くなった為目立たないが、ダーツのところにベルトを留付ける際には、裏側で、とめ付けの糸の上からさらに千鳥掛けで隠す。脇入れも、職人さんは手慣れており、無双仕立てミシンで一息であり、裏が色違いの場合は(中縫いで目立たないとはいえ)、途中(カマ底)で縫い糸を切り替える。先生のところのオリジナル尾錠を分けていただく。日本には無いもののようで、ネームが入っており、メッキなども含め独特の風合いがあり、非常にかっこいい。新しく作るたびに、使い継いでいこうと考えている。授業後、ルームシェアで二人暮らしをしている友人の引越し会へ伺う。ひとしきり楽しく過ごした後、ここへ集う事が多かった分、長い祭りのあと状態を感じながら、帰路を共にした友人からスコット・フィッツジェラルドの『乗り継ぎのための三時間』を教えてもらい、近々読みたいと思う。
2012年6月24日
六月最後の私塾。ベストを進めていて、ジャケットの場合と同じように勢いよく鋏を入れてから、「あっ!」と思った事があったのだが、先生の助言を元にフレキシブルに直していく。先生に教わり始めてから得た最大の事項の一つが、融通・臨機応変、その場その場に相応しく対応していく・良い意味で(まさに)適当に。という事に意識を傾けられるようになってきた事である。勿論、今回の場合は、軽傷とさえも呼べない程の、ちょっとした事であったと言えなくもなく、はっきりとは当てはまらない事例であるが、勉強しすぎると怖いのは、頭が固くなる事である。特に書物や資料によってガチガチになっては、本来本末転倒と言えるだろう。勉強すればするほど柔らかくなくては、問題に対処できないので、困るのである。何かに捕われ過ぎれば、新しい何か、もっと合理的な何か、より快適な何かを発見する事は不可能になる。