銀座の和光にて、テーラー・鈴木健次郎さんのトークショーを拝聴する。「階級社会」という話は聞いた事はあるし、何となく漠然とイメージでは分かったようなつもりでいても、日本の自分の生活においてはピンとこないものである。例えば、見るスポーツからして全然違うらしく、サッカーでフランス代表と日本代表が戦いましたね。というような話をしたとしたら、「君はサッカーなんか見ているのかね?」といったような具合にである。しかしながら、どこの有名なメゾンで修行したからとか、チーフのカッターであったからだとか、何人であるから(国籍)とかに関係なく、この人が自分に合う服を作れる人だと一旦見込んだら、顧客として、また同時に協業者のような思い入れで以て、長い目で見てくれるのは、その階級があるからこその、文化を育んでいけるパトロン的な伝統なのである。その様なお客様の服を仕立てるに当たり、鈴木さんが念頭に置かれているのは「Discrete=控えめな」姿勢だということだ。それは、ものづくりだけでなく、例えばレストランでの支払いひとつにまで一貫しているものだと。服に感情や「私」が入り過ぎることは、非常に「うるさく、重苦しい」と。例えば、イタリアのテーラー(サルトというのかな?)は、非常に「私」が入っているが、良い意味では一人一人が自分こそが世界一だという自負があり、逆に言えば「うるさい」とも取れる。フランス(というか欧州)は、ハウス・スタイルを合理的に一本化出来るという利点から、ベースパターンを重視する文化であるということで、そのこだわりのパターンを引く際でも、感情を突き放したような細い線を一発で引く事を心がけ、服には空気が孕むようにしたい。今回は、オーダー会の一環としてのトークだったので、全てをパリのアトリエで仕立てられる「トップ・ライン」と、縫製は日本の職人が行う「プルミエール・ライン」とが紹介されたが、やはり縫い目の感じ一つ見ても、それぞれで雰囲気が全く違う。パリと日本では、スーツを着ている人数が圧倒的に日本の方が多いのだが、日本はもの凄い数量のスーツを非常に手頃な価格で高品質に作り上げるシステムにおいては飛び抜けていおり、本当に誇れる点であるとの事であった。できるできないといった技術的な問題での優劣というよりはむしろ、それぞれの文化・風土に合った、もとめられている事をやるのでなければ、差し当たっては意味が無い。差し当たっては、であるが。