プルダウン

2011年8月14日

 collar
pulldown1

私塾通いの日曜日。お盆とあってか、駅前の喧噪は控えめ、対して日差しは手厳しく遠慮なく。同クラスの生徒さんが欠席されたため、最重要項目『プルダウン』製法を贅沢な一人授業で受ける。肩入れでは、ぐし糸を入れて、いせ分を殺すというのは何度もやってきた事ではあるが、自分がやっていた内容より遥かに厳密に、何段階にも分けて時間をかけてじっくりと、真に肩甲骨のハリを出していく。使用生地の物性・風合いも大いに関係してくる。例えばカシミヤの様な、いせが入りやすい柔らかい生地の方が容易に思えるが(実際、大部分はそうであるが)、いくつかの要素を連動させていって得たい最終形にもっていくところまで考慮すれば、むしろそういった生地の方が難しいとも言える。今回の使用生地は逆に、しっかりとしていて強いので、いせは柔らかい生地に比べれば入りにくいとはいえ、肩を入れた時点で(布地そのものの力・縫い目の力で)かなり前肩の運動量たるふくらみが認められる。顎ぐりと衿との空間『三日月』の開き具合いに配慮して型紙をカットし、衿芯を同地の目で左右裁ち接いだものをカラークロスにのせて裁ち、<ネックポイント(NP)〜後ろの衿みつ>と<ゴージの端から顎ぐりカーブに入ったあたりまで>は同寸で衿を平らに付けていく。残りの<顎ぐり〜NP>つまり、NPのごく近くで、「あれ?間違ったかな?」と普通なら思ってしまうような距離を、良き手加減でいせて、細かすぎず荒すぎず止め付ける。ここから『プルダウン』。個人的には、服づくりの工程やディテールには、芸術的な香りを嗅ぐ事がしばしばだが、プルダウンの「衿・肩・袖回りが一体となって連動する」様は、その最たるものの一つである事に疑う余地はない。例えば、キモノスリーブやラグランで、前方性を出す為に前袖山切り替え線を伸ばすとか、パンツとかそういうごくわずかな例を除いて、「伸ばす」という行為は基本的には「あ〜あ、伸ばしちゃった・・」というような否定的な、もっと言えばタブーとされているが、ここでは逆に、進んでその一見タブーのベクトル方向へ「伸ばす」のである。そして、ふさわしい手つきや布地にたいする熟知が助けてくれれば、頑張らなくても簡単に伸びてくれるのである。なぜなら生地がそうなりたがっているから、そして何より理に適っているからと言えるのであろう。伸ばしながらも、衿のある部分はいせ気味にしたり、首が長い場合・短い場合などアイロンの当て方を分けて形づくっていく。ここも伸ばしちゃうの?という部分も伸ばしても、結果は、衿は浮かないどころか吸い付き、それでいて首に食い込む訳でなくて、しっかりゆとりが確保されていて疲れない。連動して鎖骨付近のくぼみ、そして前肩の運動量となる立体感も同時に出るという芸術品なのだ。勿論、まだまだ理論的にも技術的にも理解しきれていないので、今日のところは簡単な記述にとどめ、今後の勉強の糧としたいと考える。

再現ないし再産出

2011年7月30日

modecopy

使用する生地幅を考慮する事は、当然デザインのうちに含まれる。用尺と関係するからだ。地の目の通ったフリル布に一切接ぎ目が無い。生地幅いっぱいに使っても到底距離が不足するから、その打ち込み等を分析せずとも縦地方向に使っている事が証明されるが、一着だけ仕立てるという場合には、かなりのロスが出る。今回は了承を得て接ぎを入れさせていただいた。反物全丈を通して端の方を一続きで残しておくか、フリルだけを何人分も取る丈部分が存在するようにマーキングが企画されているのであろう。今回のフリルは、お客様にとっての視覚的なポイントとしても、原価の面でも、そのプライスに両面から影響を及ぼすディテールであった。世界的にもユニークな発想やデザインを展開する海外メゾンを中心に扱うオフィスで働いている知人から、お気に入りのシルクコットン・フラワープリントのブラウスをお預かりして、近似の混率のネイビー無地で再現した。モードのモードたるところではあるが、定番とならない型は多々あり、その中には、同じものを何枚か購入しておけば良かったと思う程自分に相性の良いものが稀にある。僭越ながら、今回は出来も大変好評で、喜んでいただけて嬉しい限りである。あらゆる点で当初考えていた範疇をはるかに越えてしまったので、レギュラーサービスとして取り入れる事はまだまだ難しそうだ。

化け物と熱と時間

2011年7月24日

jacket

私塾通いの日曜日。突然訪れた快適な気候の数日を経て、不都合な事に暑気再び、くず桜恋しい摂氏30℃超の世界が取り返される。『芯据え』と『くせとり』を教わる。芯据えはこの一本だという要の線を押さえる。水分と熱と圧力によって、伸ばしたり縮めたりして布地の力をあちこちに配分して立体を形作るのが『くせとり』であるが、先生のくせとりは、形の美しさを引き出すという伝統的な効果だけでなく、試行錯誤の末、その上に運動機能をも備える様に考え出された。芯を据える前の最初のくせとり段階から既にデザインが始まっている。どこに孕みを持たせるか、どこをしゃくるか、どのダーツをどう活かすのか、ポケット袋布との兼ね合いなど。つまり、同じ型紙を置いて同じ素材で裁ったとしても、唯一無二のもの・それぞれ異なる立体感を持った服が上がるという事である。パリの有名老舗カフェでメゾンギャルソンを勤める方が、およそ年間1足のペースで新調しながら同型・同サイズ3足を長年ローテーションで回しているという仕事用のキャップ・トゥーも職人仕事の逸品だが、ご贔屓ブランドの永久保存定番にも関わらず1足1足の微妙なフィット感が違うというのと同じ話である。ここにハンドメイドのおもしろさ且つその質の高さがあるし、その人にしか出来ないという確固たる所以も存在する。アイロンの当て方について、先生がアイロンを使わず素手によって道程を示して下さったのだが、(水分も高温も圧力も不足する)素手で撫でているだけで立体がはっきり出る様を見たときには、凄過ぎて笑ってしまう程で、コテの効いた仕事が出来る手つきの凄まじさを目の当たりにした。半可通ながらも、布地の力を自在に配分していくには、このような手さばきが無くてはならないというのは疑う余地もない。学生時代からタテ地の目を見る鍛錬はしてきているつもりだが、ヨコ地の目については近眼と言える。ヨコを重視するという考え方も、目から鱗の一つであった。パンツのくせとりでも同様であったが、動きに適う様に前へ前へと追っていく、線を習っていく。そしてスピードの話。機械の性能が上がれば上がる程、昔の良いものを越えられるかどうかは疑わしいという事だ。

マニピュレーション

2011年6月26日

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上着研究の私塾通い日。個人的には、どんどん未知の領域に入ってきている。学ぶこと、練習することは、枚挙にいとまがなく、手に余ると言えなくもないほど。とはいえ、自分の能力に不足があることが自明である状態というのは、たまらない(とても良いという意味)。少なくとも自分にとって、できると勘違いして緊張感が無くなる状態というのは毒である。服づくりが本当に好きな人たちばかりが集まるので、実に楽しい。先生の、瞬時の判断による問題解決への幾通りものアクセスは、目指すべきところ。到達したい境地。授業終了後は、青山の「 Center for COSMIC WONDER 」へ寄り、ここでも私塾とはまた違ったアウラをあまた浴びて、新たな週に備える。

キャットウォーク

2011年6月24日

shinjyuku

夕方から、新宿で「 TSUMORI CHISATO 」のショーを観て勉強して来た。ショーが始まる前の喧噪から暗転し、音楽流れて勝手に始まる感じはいつも心地よい。個人的には、目線の高さのキャットウォークは久々だったので、懐かしくもあり新鮮でもあった。ニットのオールインワンで、シャネルスーツ風セットアップのようなトロンプルイユが印象に残ったが、視力が低いので、実際にもセットアップだったかも分からない。デザイン・音楽・構成など全てに教養がしっかりしていて、典拠がすぐに導き出せたら、深く味わえるのかなとか、いやむしろその逆かな等と考えつつ、もし自分がジャーナリストだったら、教養の無さから仕事にならないなと思いつつ、それはジャーナリストに限らずとも同じ事だと冷や汗もじわっと垂らしつつ、いや待てそれなら若いという時点で大方仕事になりにくいのではないかと自己肯定妄想してみたり、いやいや全然若くもないしなと再度焦りながら、作り手としては、風姿花伝の一部にあった事も再確認しつつ、一方で、何からも自由で楽しいという事も欠かせないな。などと、様々に思考を巡らせてみようとも、吹く南風暑き短夜が明けた頃には、せっかくの危機感すっかり薄れるこの性格を変えていく事こそ何よりも急務なり。

kina closed
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ハーフスリーブと言っても、単にロングスリーブを途中でちょんぎった。という訳にはいかない。袖の性格を変えるには、肩線やアームホールを中心とした身頃全体が関わってくる。この一点だけ見ても、服づくりというのは無限に遊びを効かせられる。図書館で借りていたビル・エヴァンスについての書籍を読了したが、前述した事にも関連して、学生時分より漠然と感じていて、なかなかはっきりと言葉に整理できてはいなかった事が書かれていたように思える部分があった。今回は、あらかじめの対策によって、上衿の返り具合が良かったが、その代償として、ストライプ柄の表れ方に犠牲を払う結果となった。もっとふさわしい落としどころが有ったという事になる。
この度の閉店で初めて知った存在だが、六本木の<貴奈>が惜しまれながら閉店した。「歴史に幕」という言葉がある。惜しいものに限って幕が下りてしまうのか。幕が下りるから惜しいのか。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

sleeves

いつも楽しみにしている私塾通いの日。主要題目は、袖の製図だった。素晴らしい服、美しい服、良い服というのは、特に型紙の面だけで言ってみても、「えっ?!」と驚くほど簡素なものである。誰にでも容易にできるという意味ではない。かなり複雑なものを全て含んだ、もしくは経た結果のシンプリシティなのである。自分も寡聞なりに、それなりの枚数の袖を描いてきたが、本日先生に教えていただきながら描いた袖は、これまでの経験の中でも最もすっきり、あっさり、きれいに描けた事が明らかであった。このような線でないと、きれいに付かないという事は、頭では描けていても、実際はなかなかできないものである。ましてや、それを他人に教えるとなると、クオリティとクオンティティとを両立させて戦ってこられた先生でないと、こうはいかないだろう。さらには、線は良くとも、勝負はまだまだこれからなのだ。

滋味

2011年5月22日

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すっかり夏めいた日中から一転、夕刻は肌寒い日曜日は、私塾通いの日でした。
服の王様「上着」の勉強です。採寸と身頃の製図に入りました。服作りやデザインにおいて、寸法をどう考えていくかという事は、この上なく重点を置かなくてはいけない不可欠の事柄ですが、その正確な採寸が実に難しい。生徒同士で採寸するのですが、一ケ所だけ先生の手で計っていただいたところ、いかにも精密に寸法が採れているだろう事が、肌感覚で伝わってきますし、実際3センチずれていたりもしました。採った寸法をそのまま製図に反映させていくのか、それとも計り方自体にある意図を含ませた寸法を余分に加えて採寸するのかなど、この時点ですでにデザインは始まっており、服作りの最大の根拠と言えるものの一つである故、マスターしていかなくてはいけません。製図においても、始めから終わりまで全要素が関係・連動しているので、間抜けな物を作ってしまう事態をフロック無しに回避するにも、かなりの熟練が必要だという事と、その道のりの果てしなさたるや想像に難くありません。それにしても、この角尺の、何と素晴らしい機能であることか。服作りに必要なスケールの寸法を自由自在に拡大・縮小できます。先生にしても、ヴィオネにしても、素晴らしい特別な裁断の仕事を成す方というのは、算術や幾何学に長けておられます。先生を通して学ぶべき事とは、こういった高度で本質に適った技術はもちろんの事、それと同等・もしくはそれ以上に大切な事は、そのような技術を編み出すに至った立役者たる大本の心・・・つまり、世間一般がそういうものだと片付けてしまうものや、一見非合理的な事柄に引っかかり、自分なりの仮定や考えを導き出し、日夜試して試して、研鑽を積みに積んだ末に形になったその結論を聞いてみれば、何て合理的な!と唸ってしまうような捉え方を示されるような、その「特別なものの見方と、それを実践に移す姿勢」であります。これは大変難しい。ただでさえ、特に怠け者の自分は、途中で思考を止めてしまいがちだから。併せて、気が多い性格もそこそこに、一ケ所を深く掘る必要もあります。いせる人あれば、伸ばす人もあり。非常に面白く奥深い、皆様にも何か一つ存在していると思われる、自分の人生とって滋味に溢れる行為。