fitting0911

秋気身に入む爽やかさとは言いがたく蒸し暑くなった私塾通いの日曜。よりよくプルダウンが効くように、じっくりアイロンを当て直し、再度フィッティングして補正する。その効果充分有って、随分良くなったが、本縫いでは「ツキどめ」を抱かせる事にするとはいえ、やはり後ろ身頃の衿みつは1センチ上げる事になる。何度も言っているが、毎回唸るのは、アイロン操作の見本として、先生が素手で生地を撫でていったときに、本来であればアイロンによる熱・水分(蒸気)・時間が伴わないと変形しない生地が、あたかもそれらの要素が加わった様に動く様がはっきりと見て取れる、その効果的且つ効率的な当て方・手つきである。さて、ボタンの位置が難しい問題であった。ジャケットの丈、自分の体の縦方向の寸法、ポケットの位置、ラペルの返り止まり位置等々との兼ね合いで、良いも悪いも含めれば、無限のバランスが存在する。生地の色や分量もともなって、なかなか瞬時に判断するのは難しい。先生の商品サンプルを数点何度か試着させていただき、そのボタン位置と照らし合わせ、数値的配分理論も考慮し、決定する。このあたりも、服づくりにおいて、いくらでも楽しめる要素の1つである。「自分が(ボタンを)かけるべき位置が存在するから、その1点を探す。」休憩時間には、先生のお時間の使い方を質問したり、昔フランスに発注されたオリジナルボタン、今はもう無いフォーマル用のボタンや珍しい美錠などを見せていただく。それと、昔、紳士の社交たるゴルフをプレイする時に着用したジャケットやニッカボッカ等を作る為の、相当古い生地提案パンフレットと言おうか、小冊子のようなものを拝見したのだが、当時の名人・いわゆるプロプレイヤーが数人、モデルとして各々様々なスイングをしている写真が1枚ずつ載っており、横に各プロによるその技術の解説が英文テキストとして添えられているという、着用している服・スイングによるきれいな皺は勿論、スワッチのページだけカラーだったり、使われている紙質や印刷等も含め、大変洒落ている素敵な物であった。電子化は大変便利であるが、これはKindleやiPadでは体感できないものである。ボタン付けの玉どめに関しても教わったので、早速試してみたい。ツレデは「糸=thread=スレッド」から。

唯一

2011年9月1日

steel
Dove
Lining

つま先補修/ヴィンテージスチール。
ヒール交換/ダヴ。
カウンターライニング補修。

jacket828

私塾通い。仮縫いの袖付け。ぐし糸の入れ方、いせの配分とその注意点、縫う際の手つきと持ち方、合印について、肩パッドのくせとり。先生のおっしゃるところに依れば、昔は左右それぞれの袖を担当する職人が居たというほど、袖を左右全く同じに付けるというのは大変難しい。これは、初めて袖を付けた1998年以来感じ続けている事で、主に縫い方向の反転・織組織・地の目や手くせ等に起因する。そして、違うからこそまた良いのだという事も大いに言える。逆回りでもほとんどズレが無いのは、山手線ぐらいのものだろう。起点となる前腋点辺りの合印は、外国の技術書によると「フォールスマーク」と言うのだそうだが、正直に訳すと「嘘のマーク」、さらにドイツ語に詳しい人によればすなわち「仮のマーク」という事なのだそうで、真の合印を設定する為の目安の点となる。身頃と袖を中表で合わせて持ち構える際の、先人の金言「ハナから1インチで縫え。」を教えていただいた。つまり、タチキリ端から約2.5センチ奥側の、袖と身頃の合わさり具合に目をつけるという事である。不思議な事にと言おうか、必然的にと言おうか、その部分は見事に合うようになっており、それとともに袖も適度に「いさって」くれるという、素晴らしい技である。勿論、絶対にいせを入れたくない部分もあるので、そのへんは手加減である。フィッティングでは、軽く羽織ったら前肩に手を入れて、前肩の仕上げを施す。自分の、特に肩回りの体型は、非常にくせがあると思っていたので、どれほどの不具合が出るかなと思いきや、プルダウン効果の賜物以外の何物でもなく、思っていたよりはるかに、というかほとんど問題が無いと言って差し支えないくらいの上がりであった。勿論、細かい補正は数多く有るが、もっとひどい事になるかなと考えていたので、人の体と動きに適った理論にこの上なく感動する。概要としては、大方良かった。袖の落ちも、「強いて言えばきれいに落ち過ぎているくらいかな」というお言葉をいただく。本縫いではプルダウンをもっときっちり効かせれば、服がもっと前に回り込んで来て、現状ちょっと広いかなと見える肩幅なども含め、着心地は上がり、見た目にはシャープになると思われる。袖を付けていて、素材に対して袖のいせ分量が多かったが、生地色が明るめとはいえ、結果としても上腕付近がやや太いと思われたので、修正すれば自ずと袖も細くなる。後ろの衿がもう少し上ってほしいので、衿ミツに「ツキどめ」を抱かせて、落ちない様にする。ボタンの位置を下げ、上下のバランスをすっきりさせ、返り線も少々変更する。採寸・製図の精度がさらに高ければ、もっと上質である事は確かだが、その不足を補って余り有る技法である事が体験された。型紙修正へ。

プルダウン

2011年8月14日

 collar
pulldown1

私塾通いの日曜日。お盆とあってか、駅前の喧噪は控えめ、対して日差しは手厳しく遠慮なく。同クラスの生徒さんが欠席されたため、最重要項目『プルダウン』製法を贅沢な一人授業で受ける。肩入れでは、ぐし糸を入れて、いせ分を殺すというのは何度もやってきた事ではあるが、自分がやっていた内容より遥かに厳密に、何段階にも分けて時間をかけてじっくりと、真に肩甲骨のハリを出していく。使用生地の物性・風合いも大いに関係してくる。例えばカシミヤの様な、いせが入りやすい柔らかい生地の方が容易に思えるが(実際、大部分はそうであるが)、いくつかの要素を連動させていって得たい最終形にもっていくところまで考慮すれば、むしろそういった生地の方が難しいとも言える。今回の使用生地は逆に、しっかりとしていて強いので、いせは柔らかい生地に比べれば入りにくいとはいえ、肩を入れた時点で(布地そのものの力・縫い目の力で)かなり前肩の運動量たるふくらみが認められる。顎ぐりと衿との空間『三日月』の開き具合いに配慮して型紙をカットし、衿芯を同地の目で左右裁ち接いだものをカラークロスにのせて裁ち、<ネックポイント(NP)〜後ろの衿みつ>と<ゴージの端から顎ぐりカーブに入ったあたりまで>は同寸で衿を平らに付けていく。残りの<顎ぐり〜NP>つまり、NPのごく近くで、「あれ?間違ったかな?」と普通なら思ってしまうような距離を、良き手加減でいせて、細かすぎず荒すぎず止め付ける。ここから『プルダウン』。個人的には、服づくりの工程やディテールには、芸術的な香りを嗅ぐ事がしばしばだが、プルダウンの「衿・肩・袖回りが一体となって連動する」様は、その最たるものの一つである事に疑う余地はない。例えば、キモノスリーブやラグランで、前方性を出す為に前袖山切り替え線を伸ばすとか、パンツとかそういうごくわずかな例を除いて、「伸ばす」という行為は基本的には「あ〜あ、伸ばしちゃった・・」というような否定的な、もっと言えばタブーとされているが、ここでは逆に、進んでその一見タブーのベクトル方向へ「伸ばす」のである。そして、ふさわしい手つきや布地にたいする熟知が助けてくれれば、頑張らなくても簡単に伸びてくれるのである。なぜなら生地がそうなりたがっているから、そして何より理に適っているからと言えるのであろう。伸ばしながらも、衿のある部分はいせ気味にしたり、首が長い場合・短い場合などアイロンの当て方を分けて形づくっていく。ここも伸ばしちゃうの?という部分も伸ばしても、結果は、衿は浮かないどころか吸い付き、それでいて首に食い込む訳でなくて、しっかりゆとりが確保されていて疲れない。連動して鎖骨付近のくぼみ、そして前肩の運動量となる立体感も同時に出るという芸術品なのだ。勿論、まだまだ理論的にも技術的にも理解しきれていないので、今日のところは簡単な記述にとどめ、今後の勉強の糧としたいと考える。

再現ないし再産出

2011年7月30日

modecopy

使用する生地幅を考慮する事は、当然デザインのうちに含まれる。用尺と関係するからだ。地の目の通ったフリル布に一切接ぎ目が無い。生地幅いっぱいに使っても到底距離が不足するから、その打ち込み等を分析せずとも縦地方向に使っている事が証明されるが、一着だけ仕立てるという場合には、かなりのロスが出る。今回は了承を得て接ぎを入れさせていただいた。反物全丈を通して端の方を一続きで残しておくか、フリルだけを何人分も取る丈部分が存在するようにマーキングが企画されているのであろう。今回のフリルは、お客様にとっての視覚的なポイントとしても、原価の面でも、そのプライスに両面から影響を及ぼすディテールであった。世界的にもユニークな発想やデザインを展開する海外メゾンを中心に扱うオフィスで働いている知人から、お気に入りのシルクコットン・フラワープリントのブラウスをお預かりして、近似の混率のネイビー無地で再現した。モードのモードたるところではあるが、定番とならない型は多々あり、その中には、同じものを何枚か購入しておけば良かったと思う程自分に相性の良いものが稀にある。僭越ながら、今回は出来も大変好評で、喜んでいただけて嬉しい限りである。あらゆる点で当初考えていた範疇をはるかに越えてしまったので、レギュラーサービスとして取り入れる事はまだまだ難しそうだ。

化け物と熱と時間

2011年7月24日

jacket

私塾通いの日曜日。突然訪れた快適な気候の数日を経て、不都合な事に暑気再び、くず桜恋しい摂氏30℃超の世界が取り返される。『芯据え』と『くせとり』を教わる。芯据えはこの一本だという要の線を押さえる。水分と熱と圧力によって、伸ばしたり縮めたりして布地の力をあちこちに配分して立体を形作るのが『くせとり』であるが、先生のくせとりは、形の美しさを引き出すという伝統的な効果だけでなく、試行錯誤の末、その上に運動機能をも備える様に考え出された。芯を据える前の最初のくせとり段階から既にデザインが始まっている。どこに孕みを持たせるか、どこをしゃくるか、どのダーツをどう活かすのか、ポケット袋布との兼ね合いなど。つまり、同じ型紙を置いて同じ素材で裁ったとしても、唯一無二のもの・それぞれ異なる立体感を持った服が上がるという事である。パリの有名老舗カフェでメゾンギャルソンを勤める方が、およそ年間1足のペースで新調しながら同型・同サイズ3足を長年ローテーションで回しているという仕事用のキャップ・トゥーも職人仕事の逸品だが、ご贔屓ブランドの永久保存定番にも関わらず1足1足の微妙なフィット感が違うというのと同じ話である。ここにハンドメイドのおもしろさ且つその質の高さがあるし、その人にしか出来ないという確固たる所以も存在する。アイロンの当て方について、先生がアイロンを使わず素手によって道程を示して下さったのだが、(水分も高温も圧力も不足する)素手で撫でているだけで立体がはっきり出る様を見たときには、凄過ぎて笑ってしまう程で、コテの効いた仕事が出来る手つきの凄まじさを目の当たりにした。半可通ながらも、布地の力を自在に配分していくには、このような手さばきが無くてはならないというのは疑う余地もない。学生時代からタテ地の目を見る鍛錬はしてきているつもりだが、ヨコ地の目については近眼と言える。ヨコを重視するという考え方も、目から鱗の一つであった。パンツのくせとりでも同様であったが、動きに適う様に前へ前へと追っていく、線を習っていく。そしてスピードの話。機械の性能が上がれば上がる程、昔の良いものを越えられるかどうかは疑わしいという事だ。

芯地

2011年7月10日

padding
limartannex

七月文月最初の私塾通いの日であった。ジャケットのフォルムを構成するのに、非常に重要な役割を担う芯地づくりを教えていただいた。有り物(既製)ではなく、型紙に合わせたオリジナルの芯を使う事で、服がよりフィットし、より立体的に仕上がるのを助けてくれる。そしてまた、こういった作業も私を魅惑するもののひとつなのである。ウールの台芯と化繊のバス芯を合わせる。昔ながらの、馬の尾毛が緯糸に入ったバス芯(漢字表記ならば文字通り「馬尻毛」。先生による)も見せていただいたが、その毛の張りと言ったら、表地から飛び出してくる可能性が高いほどなので、あえて使用することもしなかった。ダーツ部分の縫製には、昔のものだという電動ミシンをお借りしたのだが、これが家庭用だと、なおかつ嫁入り道具的な立場のものだと聞くにつけ、驚かずにはいられないほど上等(高機能)のものであった。ボビンの構造も本格的で、それ故、昨今の一般的な家庭用よりも精度の高いジグザクステッチをかけられるし、縫う音がいかにも素晴らしかった。重量がとんでもないというのが、唯一欠点と言えばそうである。柔らかくソフトに。服の内側に向かうにつれ大きく大きく。そして体が動く事を考えながら。学生時代、カメラワークの教諭が「人間の眼は適当にできている」とおっしゃった。勿論、ここで言うのは「いいかげん(悪い意味での)」という意味ではない。「良い加減(良き補正をしてくれるという、その事をふまえる)」という意味の方である。ハ刺しの糸の引き具合なども、この適当さであるべきである。先生の仕事といい、昔のクチュールの裏側といい、まさにその言葉が当てはまると考える。これは、その哲学の表れが成せる業である。指針・標。
授業後、出来得る限り日陰を選びながら「 lim Art annex 」を訪れ、大沼茂一さんという方の写真展『 東京都 』を最終日にて観賞する。このエリアは、ブックショップ、ファッション、雑貨、アンティーク、パーツセンターなど、見所は沢山あるのだが、一刻も早く自部屋にてシャツの水分を絞りたく、急ぎ帰路についた。

sleeves

いつも楽しみにしている私塾通いの日。主要題目は、袖の製図だった。素晴らしい服、美しい服、良い服というのは、特に型紙の面だけで言ってみても、「えっ?!」と驚くほど簡素なものである。誰にでも容易にできるという意味ではない。かなり複雑なものを全て含んだ、もしくは経た結果のシンプリシティなのである。自分も寡聞なりに、それなりの枚数の袖を描いてきたが、本日先生に教えていただきながら描いた袖は、これまでの経験の中でも最もすっきり、あっさり、きれいに描けた事が明らかであった。このような線でないと、きれいに付かないという事は、頭では描けていても、実際はなかなかできないものである。ましてや、それを他人に教えるとなると、クオリティとクオンティティとを両立させて戦ってこられた先生でないと、こうはいかないだろう。さらには、線は良くとも、勝負はまだまだこれからなのだ。